イエス・キリストは、白人ではない? 日ユ同祖論について考える

以前、お釈迦さまはアーリア人(白人)である可能性について伝えた。今度は、イエス・キリストは、一般的にイメージする白人ではない可能性について述べたい。

 

 

寄稿】イエス・キリストの本当の姿は? 長髪にひげは本当か - BBCニュース

 

 

エスユダヤ人だったのは確実で、パウロの手紙など様々な文献に繰り返し記載されている。ヘブライ人への手紙には「わが主がユダ族出身なのは明らかだ」と書かれている。イエスは特徴的な外見をしていたという記載は文献に特になく、一般的にイメージする「イエスは白人」であるが、それらは白人至上主義を背景に白人に変貌(描写された)した可能性がある。

 

2001年のBBCドキュメンタリー「神の子」では、法医学人類学者リチャード・ニーブ氏がガリラヤ地方の男性の顔を、実際に同地方で発見された頭蓋骨をもとに再現した。これはイエスの顔をそのものではないが、イエスが生きた時代の人物である。

 

寄稿】イエス・キリストの本当の姿は? 長髪にひげは本当か - BBCニュース

 

 

大昔の骨から再現したものであるにせよ、実際のイエスの姿に近かったのではないかと思割れる。ドゥラ・エウロポスの3世紀のシナゴーグ(会堂)に描かれたモーゼの壁画で、「ギリシャ・ローマ世界におけるユダヤ人の賢者」を描いた姿だ。歴史上のイエスを想像する出発点としては、現在のスタンダードとして定着してしまっているビザンチン版のイエスよりは、こちらの方がはるかに正確であると言える。このモーゼは短髪に軽いひげで、半そでの短いキトンとヒマティオンを着ており、一般的にイメージする(青目の)白人ではない。

 

 

寄稿】イエス・キリストの本当の姿は? 長髪にひげは本当か - BBCニュース

 

 

「日ユ同祖論」

 

日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエル失われた十支族の一つとする説で、エス=キリストが十字架に張りつけられ殺された後、滅ぼされたエルサレムを脱出したイエスの弟子たちの末裔が、日本までたどり着いて自らを秦氏と名乗ったのではないかというもの。

明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)が、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱した。 但し、ユダヤ古代イスラエルのうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)ではなく、ユダヤ人と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族である。 ユダヤと言うよりヘブライと言った方が適切なのかもしれない。

 

「失われたミカドの秘紋」 加治将一

 

失われたミカドの秘紋: エルサレムからヤマトへ 「漢字」がすべてを ...

 

【内容情報】(「BOOK」データベースより)

天皇の真実を公表する」そう息巻いていた友人が死んだ。歴史作家・望月真司はその死に疑問を抱き、彼が知った事実を調べるため、支那大陸へ。そこで目にしたのは、キリスト教が中国で流行したことを示す石碑、そして古くからあるイスラム教の寺院。これらが望月の頭の中で結び付けられたとき、ヤマト民族の起源が浮上する!真の古代史を追求する、驚愕の歴史ロマン。

 

・紀元前551年生の孔子は当時中国まで到達していたユダヤ教 を基礎に儒教を興した。

スサノオは牛を祀っていた渡来系の食の支配者。稲荷神社はその勢力の名残。 

新羅系の大海人(天武天皇)は百済系の天智天皇の正当なる後継者・弘文応を暗殺し、嘘の血脈を事実を織り交ぜながら日本書紀で作りあげ、その時、倭から日本とした。

・唐時代の大秦景教流行碑が現存。当時、キリスト教ネストリウス派が唐で大流行していた。

空海は中国の西明寺キリスト教と関係があった般若三蔵に師事し、キリスト教の考えを取り入れている。

秦氏は渡来系氏族で事実上平安京を造った一族で、景教徒つまりキリスト教徒。

・倭・大倭(ヤマト)・日本、王権の大変化と共に国名が変わるがヤマトという言葉は今も残る。

・ヤマトはイエスが話していたアラム語のヤー・ウマト。ヤはヤーウェーのヤで神。ウマトは民。つまり神の民。

三種の神器があるのはユダヤと日本だけ。

・アーメンが阿弥となり、ジュダ(ユダヤ)教が浄土教になったなど、類似する言葉が多数ある。

 

日ユ同祖論は、宗教の由来も含めた大胆な仮説である。イエス・キリストが所謂白人でなかった可能性を考慮すると、より理解しやすい。但し、日本(ヤマト)とユダヤヘブライ)の文化の類似性は確かに相当数あるものの、その根拠については慎重な検証が必要であると思われる。